春休み企画、サニー故郷に帰る。前篇

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今年の春休み、私の勤め先で奇跡的に4連休が取れまして(恐らく定年までもうないであろう)子供を連れて地元に帰って来ました。

コロナ禍になって3年、そしてその間に妻も亡くなってしまったので、家族で遠出することもありませんでした。

しかし子供が中学生のうちに尚且つ私の母が元気なうちに地元に帰っておかなければ、もう良いタイミングを失ってしまうと切実に思ったので決行しました!

そりゃけっこう!

初日 実家で過ごす、2日目 ディズニーシーで遊ぶ、 最終日 友人宅を訪ねる 

というマイペースな私達にはタイトなスケジュールとなりました(汗)

5年ほど前に父の葬儀で帰省したときは妻の体調等も考えて自家用車で何回も往復しましたが(旅費もかなり節約できたが)流石に最近は体力的にもしんどいし、時間的余裕も無かったので新幹線で行ってきました。

田舎住まいなもんで、普段の移動は全て車なのでうちの子は新幹線に大はしゃぎしてました。

私サニーも子供の時分は電車の運転手に憧れてたくらいなもんでちょっとワクワクしました(笑)

さて最近の新幹線は改良が進んでますます速くなっているので、あっという間に車窓から富士山が見えて来ました。

子供は富士山の写真を撮ったりお菓子を食べたり持ってきた漫画を読んだりと、新幹線旅行を大いに楽しんでいました。

早朝暗いうちから家を出発しましたが新幹線のなかはスーツ姿のビジネスマンで満席でした。平日という事もあるかとは思いますが。

おそらく出張等と思われますが、コロナ禍も落ち着いてきて漸く経済が戻ってきた感じがしました。

私は普段は製造現場での勤務なもんで、今一つ実感湧かなかったので。リモートワークとか出来ませんので。

さて東京駅は相変わらず大都会の様相を呈していて、若い頃から都会の暮らしに馴染めず田舎へ田舎へと離れて行った私ではございますが、久しぶりの古巣に懐かしみの感情がこみ上げてきたことは否めません。

うちの子は高層ビル群や人混みに圧倒されて案の定少し困惑している様子。

普段の移動手段は専ら自転車か徒歩なので恐らく一人で電車にも乗れないかも知れません。良くも悪くも田舎っ子なのです。

しかし生まれも育ちも自称都会っ子の私は便利で刺激のある都会を否定するつもりはさらさらありません。

がしかし子育てする環境は自然に囲まれ、季節の移ろいを感じられて人とのつながりもあり尚且つ生活に困らない程度の便利さがある町が良いと思っておりました。

求めすぎやろ。。

超田舎育ちの嫁さんの地元は、コンビニは町に1件、電車は無い、バスは観光バスが1時間に1本、小学校全校生徒10人で中学校が同じ敷地内、エレベーターのある建物がない等、都会生活では想像も出来ない環境で生まれ育ったと聞きました。

ですが本人曰く別段それほど不自由を感じたことは無くそれなりに暮らせていたそうです。

本人さんは地元愛も強く看護学校の寮に入るまではずっと実家で暮らしていたそうです。結婚してから私を母校に案内してくれたこともありました。

超田舎の理由に観光地という事もあります。嫁さんの実家近隣一体が国定公園に指定されていて、環境保護の為ガソリン車が通行できない場所もあるそうです。

テレビコマーシャルにも撮影でよく使われていたそうです。

春の桜や秋の紅葉シーズンは本当に綺麗で昔は観光客で賑わいを見せていたそうです。最近はインバウンドが復活してきて再び活況を呈して来ている様子です。

さて話を戻します。地元に着いたらなんと私の妹がホテルの日本料理店で個室を予約してくれてました!久しぶりに家族が集まったので皆で昼食会を楽しみました。

私自身はそんな身分ではないのですが、私達親子がこっちに来る事も、そうそうないという事で高級なお店に招待してくれました(笑)

ホテルのロビーで大きな吊るしひな壇が飾ってありました。

そして日本料理店は完全個室の風情ある佇まいをたたえてました。

もちろん懐石料理なので一品づつ出てきます。

3月なので雛祭りにちなんだお料理となっておりました。

うちの子もこういう料理はあまり食べ慣れてないので、緊張と驚きの連続でした。「一生のうちに何回かしか食べられないから、こころして頂きなさい!」思わず念を押してしまいました。

郷里の家族との久しぶりの談笑に花が咲きました。私にしてはお酒も結構頂きました。

子供ももうすぐ高校生なので談話もこれからの日本の社会のこと、お金のこと、将来の職業等々多岐にわたり繰り広げられました。みな人生経験豊富なもんで(笑)

それにしても、真昼間から美味しいお酒が飲めるというのはなんという贅沢なのだろう。

私そこそこいい歳こいてますが、今までそういう経験を余りして来なかったので、どうしても躊躇してしまうのですが、これこそ究極の贅沢かも知れないと思う次第でありました。

楽しい時間はあっという間に過ぎていくものです。。

午後からは子供が東京でお洒落な流行りの服を買って、その服を着て次の日のディズニーシーを歩きたいという願いを叶えるべく、私の妹にミッションを託しました。私では役不足ですので(汗)

実は私正直なところ、普段はあまり子供に服を買ってあげません。

まず理由として、最近物凄く成長が速くあっという間に着られなくなることが多いので、もったいないと思うからです。

そして私古くさい人間ですので、中学生は洋服を買いまくることよりも、もっとやるべきことがあるはずだと強く思っている次第であります。

確かに年頃ですし、お洒落をしてもっともっと可愛くなりたい気持ちは分かります。

ですが、今この時期にしか出来ないことが沢山あることも子供には知ってほしい。

失って後悔した経験のあるおっさんの一意見として(笑)

さて私と母と叔父はホテルを後にして母の住む団地へと向かいました。父が他界してから今でも母は都営住宅で一人で暮らしています。

古い建物なので外観はそれ相応なのですが、躯体はかなり頑丈なつくりで音漏れは殆どない感じです。しかしその静けさになおさら侘しさを感じてしまいました。

父が元気だった頃、妻と小さい子供を連れて何度か訪ねたことを思い出しました。

また子供が小学生のとき夏休み中に子供だけで3週間程お泊まりさせてもらったこともありました。

「思えば自分の親とは言え随分と甘えさせて貰ったな」私嫁が持病を患っていたものですから常に嫁さん最優先で物事をこなしておりました。

嫁が娘を出産して、育児が始まったときも私の母に3か月ほど来て貰ったのですが(妻のお母さんは妻が中学生の時に他界)嫌な顔ひとつしないで送り出してくれました。

今思えば父は昔の男なので、さぞ一人暮らし大変だったと思います。

私そのときは妻のフォローで一杯一杯だったのですが、今自分も歳を重ねてやっとそういったことに気付けるようになりました。

「わがままをきいてくれてありがとう。」父の遺影に手を合わせ祈りました。

父は若いころ画家を目指しておりましたが、周りの人の暖かい支援を受けてデザイン事務所を開業しました。

その頃日本も高度経済成長期の真っ只中で、父もノリノリだったと聞きます。

しかしバブル経済崩壊のあおりをもろに受けて、晩年は細々と仕事を受注していたと聞いてます。

パートでマンションの管理の仕事をしながら生涯、デザインの仕事を続けてきました。

部屋の壁には父の作品が沢山飾ってありました。

実家に住んでいた頃は正直父の仕事にあまり関心なかったし、私も若かったので反発心で父の仕事を継ぐことは考えられませんでした。

しかしそのことで父が私を責めたことは一度も記憶にありません。

いまこうして改めて父の作品を見てみると、何か物凄く人を引き付けるものがある様に思えました。そう感じたの初めてでした。父の作品は何度も見ているのですが。

人柄が滲み出ているのかも知れません。父は皆に愛されていましたから。

妹と娘の服選びはかなり難航しているみたいで、すっかり陽が沈んでしまいました。

ビールを飲んで待っていた叔父はすっかり出来上がってしまったので、千鳥足で帰られました。。

お昼が高級ホテルだったので、夜は手作り晩ご飯を作ることにしました。近くのスーパーで一通りの食材を買ってきました。

下ごしらえをしようとしたそのとき私の手は思わず、止まってしまいました。

調理器具が皆、埃を被っていたからでした。それは相当の期間使われていないことを物語っていました。

母は私が幼少のころから料理が得意で、どんなジャンルでもこなせる腕前でした。

私が社会人になって最初、料理の道に進んだときも賄い料理のレパートリーで相談に乗ってもらった位です。言わば私の味のルーツなんです。

そんな母の台所に埃が溜まっているなんて。。

私は涙声をごまかしながら「かあさん、最近料理してないでしょ?」と問いかけました。

「お父さんが亡くなってから他に食べる人いないし、お惣菜買って済ましてる。」母が答えました。

「そうか、一人分作るの手間だもんな。今日は俺がつくるよ」

「あら、助かるわ。」久し振りに交わした親子の日常会話でした。

取りあえず台所にある調理器具を全て洗浄してから、イタリアン風の魚介のパスタを作りました。そして母が褒めてくれました。

漸く妹達が帰ってきて、シャンパンで乾杯し宴もたけなわの刻、娘のファッションショーが始まりました。

孫にも衣装とは正に言い得て妙です。

正直、私男親では到底セレクト出来ない様な全身コーデを、妹は見事に選んでくれました。

うちの子曰く、若い人に大人気のブランドだそうです。流石、都会生活の長い我が妹でした。

我が娘はまだ身の丈に合ってなないと、物怖じしている様子で、実際似合って無くはないのですが見慣れないし、何だかよそ様の子供さんみたいに見えました。

しかしお洒落してディズニーシーデビューするのも今回の旅行の目的の一つになってるので、皆で娘を励ましたのでした。

なんだかなぁ。。

早朝から出発するつもりでしたので、疲れているであろう母を起こさない様、身支度をしたのですが結局起こしてしまいました。

「また来るね」とだけ軽く別れの挨拶をして出発しました。

ですが私の心の中では必ずまた来ようという何か使命感の様な思いが、芽生えた気がしたのでした。

中篇に続く。

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