夏休み企画、娘達と車で小旅行。そして亡き妻との思い出。

この記事は約6分で読めます。

私サニーは全然休みが取れませんが世間では夏休みの真っ最中です。お盆休みさえ取れない状況なので中学生の娘をレジャーランド等に連れていくことができません。

妻が生きてた頃は子供もまだ幼い年ごろで尚且つ休みも週2で取れてたし、その上交代で夏休みなども取れてたので結構いろいろなところへ家族で出掛けることができました。嫁さんも外に出かけるのが大好きな人だったので長期休暇では家族旅行、普段は夫婦で近場のドライブが日課だったのでほとんど家にいませんでした。

当時嫁さんは持病を抱えており、働くことも家事もあまりできず投薬での対処療法しか手立てが無くて自宅でひたすら療養しておりました。毎日共働きで家事と仕事に追われストレスにさらされる若いお母さん世代からしたら贅沢な悩みに思われるかもしれません。ですが自分の思うように体が動かず誰とも会えずただひたすら自宅でときが過ぎるのを待つ生活は生き地獄でしかありません。

私も仕事、家事、育児、妻のフォローと今思えば自身のキャパシティーを超えていたのでストレスで嫁さんに対して傷つく事を言ってしまったり、逆に言われたり夫婦喧嘩はしょっちゅうでした。子供の前で殴り合いの喧嘩もありました。(一応私は男なので手は上げてません)

そんなストレスMAXの嫁さんのガス抜きは酒とタバコとドライブでした。聞くところによると若いころは地元でやんちゃしてたそうなのでそれらは必須アイテムだそうです。

夕方へとへとになって仕事から帰ってくると間髪入れずにドライブが始まります。嫁さんは車内でお気に入りの音楽をかけてコーヒー飲みながらタバコをふかし、やっと生きた心地がしてきたようでリラックスした面持ちをするのでした。そしてもともと社交的な性格で(多くの女性は)おしゃべりが大好きなので溜まってた言葉たちを存分に開放するのでした。

私はというと口べたで話すよりも聞く方が向いているみたいで、若い頃から結構いろんな人から人生の悩みを相談されたりすることが多かったのでした。なので今更ながら夫婦のバランスが取れていたのかなぁと思います。

怒濤の保育園時代を経て(子供は妻の病時保育枠で入れてもらった)娘も小学校に上がると自分のことは少しは自分で出来るようになったので僕ら夫婦もやっと少しだけ落ち着いてきました。嫁さんから感謝の言葉を聞いたりすることができて夫婦仲もまた少しずつ良くなってきました。

そしてときは流れて娘も中学生になりました。そしてコロナウィルスが蔓延して世界はパンデミックになり各国でロックダウン、日本でも緊急事態宣言が発令されて我が家でも自ずと外出を控えるようになりました。

しかしながら私の本業での仕事が減った半面、家族との過ごす時間が増えたのでそれは救いでした。嫁さんも私が仕事から帰るのが早くなったので終始穏やかに過ごせてました。娘も最初の反抗期が落ち着いて少し大人になったので、嫁さんに対して気遣いも出来るようになりました。ある意味家族の絆が一番深まっていた時期だったのではないでしょうか。

そんな矢先でした。嫁さんは突然の事故によって帰らぬ人となったのです。

僕も恐らく娘も余りにも突然の不幸が降りかかったので到底、現実を受け入れることができず、娘に至ってはあまり人前では泣きませんでした。余りに落ち着いて見えるので苛立ちを覚えた私は娘になじることもありました。が自分は馬鹿でした。現実を直視したらこころがおかしくなりそうで怖かったと娘はその時初めて号泣しました。自分を責めました。

そして今は悲しみに浸っていてはいけない。親としていま一人の娘を守っていかなければならないのは自分だけなんだと。それが妻への供養なんだと、そう決心して一日も早く元の生活に戻れるように淡々と日常をこなしたのでした。

それは傍から見たら一見クールでドライに見えたかもしれません。仕事も告別式等を済ませた後1週間あまりで復帰しました。職場のスタッフも余りに職場復帰が早かったので大変心配してくださり申し訳なく思いました。しかし私にとっては日常の忙しさに身を任せた方が精神的に安定するので、好都合なのでした。

そして長いようで短かった1周忌がすぎ、また暑い夏がやってきました。私は無我夢中で不動産投資を実践し、妻との悲願だった物件所有を実現して日々賃貸運営を継続しています。そして本業の方は経済が日常に戻りはじめたので、またご存知のとうり会社の諸事情で激務です。

そんな休みもまともに取れないなか子供たちの暑い夏休みがやってきました。娘には普段あまり遊びに連れて行かれず親らしいことも正直出来ているとは言い難いので、今回くらいは人肌脱ごうと奮起しました。

娘はいま難しい年頃なので取りあえずまずは言われた通りにしようと思ったので、自宅での夏祭り材料と花火セットの買い出しに付き合いました。普段私は子供たちの遊びにはあまり首を突っ込まず費用だけ出資することが多いのですが、今回は一緒にと誘われたのでついて行きました。

夕方からみんなで焼きそば等を準備しお友達はお家からかき氷機を持って来てくれました。なんだか僕も久しぶりに楽しい気分になりました。

そして宴もたけなわになり家の玄関の前でささやかに花火をしてお開きにしました。

翌朝は娘たちにリクエストされてたSNS映えするお寺に行きました。車で40分程の山奥にありました。その道のりはまさに嫁さんとのドライブコースだったのでした。ここ1年くらいは昔のことを思い出して辛くなるのが怖くてその道を通るのを避けていたのですが、良い機会と思い勇気を出して行ってみました。私の住んでいる町は不便ではありませんが程よく田舎なので30分も車で走ればすぐに原風景になります。6月には蛍も見れるくらいなので。

川沿いにダムがある峠道を登りきると大きな湖が目前に広がりました。「綺麗!」娘がはしゃぎました。この道を何度走ったことだろう。

田舎の風景がなんか懐かしく、いろいろな嫁さんとの出来事を思い出させてくれました。日常の他愛もない会話や流れてた音楽など。そのときはそれが当たり前で日常がずっと続くと思い込んでいました。けれど永遠なんてものはありませんでした。かたちあるものはみな移ろいすぎていくように思いました。だからこそ今その瞬間が大事なんだと嫁さんに教えられた気がします。

お寺に着いたときは天気も良く娘たちは写真を撮りまくることができてご満悦でした。そして地元で有名な小さいレストランで昼食中は土砂降りの雨、帰り道ではまた晴れました。なんか嫁さんが天から見守ってくれてるなぁと思いました。ありがとう、また来るね。こころでつぶやきました。

さて長くなってしまいましたが最後までお付き合い頂きありがとうございました。今回は不動産投資とは直接関係ありませんが、私がこうして頑張れるのは妻の存在が大きかったなぁとあらためて感謝していること、そしてなによりも家族が大切ということをお伝えしたくて書きました。

これからもひとり親として子育てについて思うことなども書いていこうかなぁと思っていますので、よかったらまたよろしくお願いします。

「娘達と車で小旅行、そして亡き妻との思い出」をお送りしました。それではみなさんまた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました